今回も駆け出し時代の回顧録。しばらくお付き合いいただけると嬉しいです。
今になって読むと「今ならGWを全部犠牲にしてまであんな低報酬の仕事を請けないわぁ」と思いますが、まあ、それはそれで。
でもこの仕事で「プロなのにこんなひどい日本語書く人いるんだ」と驚き「私プロとして一定の水準を越えているわ」と自信を持ったことはまた事実。
では、ここから本文です。
離脱者続出の難しい案件だったが合格を知り安堵する
その案件は専門的な領域に踏み込むテーマであったこと、そしてクライアントの求めるレベルがかなり高かったこともあり、たまりかねて途中離脱を申し出た人も多かった。
……実はWebコンテンツライティングのプロジェクトではそのような事は珍しくはない。クライアントにより、求めるライター像がまるで違うからだ。
どんな優秀なライターであっても得意不得意がある。だから仮にクライアントから勧誘されたプロジェクトであってもそのコンセプトが自分と合わないことなど日常茶飯事。だから合わなければ離脱するしかないのだ。
それでもベテランライターさんたちはドライに割り切って仕事をしているという感じだ。現在は私もその雰囲気に慣れて、「まあそんなものか」と思えるようになった。
ただ、初めてそのような現場を経験したため私は密かに恐れおののいていた。
「記事を納品した後とんでもなく辛辣なFBがあり、その挙句に落とされるのではないか?」と。
しかし、大変運が良いことに、私はクライアントの求める水準に達していたらしく、かろうじて生き残ることができた。
記事添削の依頼が来た
とりあえず継続のメンバーに入ったらしいとわかったのでほっとしていたところ、その案件のクライアントから突然私個人あてにメッセージがあった。
「別件で記事の添削の仕事をお願いできますか?」
実を言うと、記事の添削は毎年参加している地元イベントボランティアライターの仕事で何度か経験していた。だから記事の内容によってはできるかもしれないと思った。
そこでまずはどのような記事を添削するのかについて尋ねてみた。すると「この記事です」と添削対象の記事のURLが送られて来たのでざっと読んだ。
なんとかできそうな感じだったので、そう返事を書き、報酬についての打合せが終わった後、すぐに添削、いや、リライトの作業に取り掛かった。
その内容については守秘義務の関係から詳しくは話せない。しかし、その初めてのリライト経験が私にとっての大きな転機となった。
「たとえ利益度外視の結果になっても徹底的に情報の裏を取りながら綿密にリサーチすべき」
という私の記事執筆における信念が、ますます確固たるものになるに至った大きなきっかけとなったのだ。
次回のエントリーでは、このリライト作業を通して学んだことについて、そして私が校正、校閲の世界にも足を突っ込み始めたことについて、体験談を交えながら少し踏み込んで話そうと思う。
恐らく(3)の内容と多少被ることになるが、そこはご容赦頂きたい。
~続く~
コメント